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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第824回

AT互換機が普及するきっかけとなったPCIは、MCAの失敗から生まれた 消え去ったI/F史

2025年05月19日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII

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 一週空いたが、今週の消え去ったI/F史は、VESAによって1992年8月に策定されたローカルバス規格となるVL-Busの続きを語ろう。VL-Busの最初のところで少し触れたが、インテルは1991年にIAL(Intel Architecture Lab)を立ち上げ、ここで次世代のPCに必要となるさまざまな要素の技術開発をしており、その中にはI/Oバスに関するものも含まれていた。

 当時IALはRon Whittier氏がVP&GMとして統括を行ない、その下にCraig Kinnie氏とSteven McGeady氏が、それぞれH/WおよびS/Wの開発をまとめる形で指揮を執っていた。そんなわけで、PCIの開発の大きな部分は、Kinnie氏の指揮の下で進められた。

デスクトップPCを機能拡張するための接続規格
PCI

白いスロットがPCIスロット。現行のPCI Expressの前身となる規格だ

 PCIの開発の直接的な動機となったのは、IBMによるMCAの失敗というか爆死である。要するにIBMはPCエコシステムを大きく成長させるつもりはなく、自社のビジネスだけしか考えてないことが明らかになったわけだからだ。では誰かほかのベンダーが音頭を取ってPCエコシステムを発展させてくれそうか? というとこれも怪しい。

 連載821回で説明したGang of Nineも、EISAの規格こそ策定したものの、それ以上なにか標準化に取り組もうとしたわけではなかったからだ。

 Kinnie氏が見るに、1980年代後半の業界には水平統合に興味のあるリーダーがいなかったことがこの状況を招いたとする。もともとPCというものが出てくるまで、ほとんどのコンピューターシステムは垂直統合だった。IBMなど一番良い例であるが、他の会社も例に漏れない。

 家庭用マイコンを視野に入れても、基本特定のメーカーがローエンドからハイエンドまでラインナップをそろえて提供するという典型的な垂直統合での製品展開が成されていた。

 ところがIBM-PCとその互換機市場は、業界初というと大げさかもしれないが、IBM-PCがその仕様をオープンな形で公開し、これに準拠したコンポーネントをさまざまなベンダーが提供、同じ仕様に基づく実装をしたマシンが同一のソフトウェアで利用できるという水平分散型のビジネスというのはまだなじみのないものだった。

 結果から言えばEISAやVL-Busも、こうした水平分散型のエコシステムにそぐう形で導入されたことで広く普及したが、それ以上展開するつもりがなかったし、そもそもGang of Nineの9社を合わせてもAT互換機の市場の半分くらいしかカバーできていなかったため、ここにイニシアチブを取ることを期待するのも難しかった。そもそもEISAの策定が終わった段階で、ほぼ各社の共同体制は半ば終わっていた。

 一方インテルからすれば、逆に水平分業的に市場が広がってくれないと、特定のメーカーにCPU(とチップセット)を販売するというビジネスに終わってしまう。同社からすれば、数多くのメーカーがインテルのCPU(とチップセット)を購入して、広範にAT互換機を出荷することでさらに市場が広がる、という正のフィードバックがかかることを期待していたから、なにかしらの水平分業的なイニシアチブが起きることを期待していたようだが、残念ながらそうした動きは特になかった。

 そのあたりもあってか、Kinnie氏はインテルが率先してイニシアチブを握って標準化を進めることを決意する。もっともこれは後付けの話であって、当初はかなりおそるおそるであった。

 さて、PCIの基本設計を担当したのはIALでインターコネクト・アーキテクチャーのマネージャーを務めていたDave Carson氏で、IALでマーケティング部長を務めていたDavid Schuler氏と共同でPCIの仕様を策定していたが、基本的な方針は次のページの通り。

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