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売り上げビリの営業職から起業家への逆転ストーリー。強みを見つけて手に入れた〝自分らしい働き方〟

文●杉山幸恵

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 ベストセラー「適職の地図」などの著書を持つ、「株式会社マイディアル」代表取締役社長の土谷(つちたに)愛さん。強み発掘コンサルタントとして「自分の強みを理解し、自分を好きになれる大人と子どもを日本中に増やすこと」をモットーに掲げ、講座運営や情報発信に力を注いでいる。そんな彼女のキャリアは、就職活動で100社落ち、なんとか入社するも営業成績最下位という…地獄のような状況からのスタートだった。挑戦と挫折を繰り返し、紆余曲折を経ながら手に入れた逆転劇。自分の強みを見つけ、理想の未来に向けて行動し続けた土谷さんの物語は、これからライフシフトを考える人にとって大きなヒントとなるはずだ。

1990年生まれの土谷愛さんは28歳で独立、31歳で「株式会社マイディアル」として法人化した

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2度の転職に休職。波乱に満ちたキャリアの中で見つけた副業という働き方

 大学時代は将来への展望が見出せず、就職活動でもただ〝名前を知っている企業〟に片っ端からエントリーしていたという土谷愛さん。しかし結果は100社を超える不採用通知…。最終的に知名度が低いなどライバルの少なそうな会社に矛先を変えたところ、何とか地方の酒類会社に営業職として入社。2012年のことだった。

 しかしながら、どれだけ頑張っても営業成績が最下位…と、報われない日々が続く。思い悩んだ土谷さんは、自分の本音を問う自己分析を試みることに。そして出た答えは「自分のなりたい姿は〝肝っ玉母ちゃん〟」だったという。

 「具体的には〝問題が起こっても冷静に解決できる〟〝いつも前向きに物事を考える〟〝愛情深く人に優しく接する〟という3 つの要素を兼ね備えた人のことでした。また、適齢期のうちに結婚・出産をと考えていて。そのためには、精神的にも経済的にも自立しておきたく、大学時代の奨学金450万円を20代のうちに完済したいという思いもありました」

 こうした希望をかなえることができる仕事は何なのか。各業界の利益構造や職種による年収の違いなどを調べた結果、より条件に合う職場を見つけ、転職を決意する。転職先は医療系メディアを運営するベンチャー企業で、彼女は再び営業職を選んだ。

 「前職で成果を出せなかったので苦手意識はありましたが、20代で経験が浅い立場でも〝お金を稼ぎやすい〟という観点だけで見ると、やはり営業職が適しているかなと思って。また、成果を出せるようになる過程で、〝肝っ玉母ちゃん〟としてのスキルも身に付くであろうと。〝現状の自分ができるか否か〟ではなく、〝理想の未来へ近づけるか否か〟を優先しました」

 より〝理想の未来〟に近づきやすい環境で働くべく、新天地での第一歩を踏み出したが、ここでも成果があげられず、もがき苦しむ日々。〝営業=喋りを武器にする仕事〟だと考えていた土谷さんは、もともと喋ることを苦手としながらも、毎日プレゼンの特訓に励んでいた。そんな彼女を見かねた先輩からある日、思いもよらぬアドバイスをもらう。「きみは喋るよりも聞く方が得意だと思うから、そっちを活かしてみれば?」と。

 「営業なのに喋らなくてもいいの?自分は話を聞くのが得意なの?と、二重に衝撃を受けました。それまでは『自分は喋るのが下手で、お客様に愛されない』と強く思い込んでいたんです。そのため、毎日〝失敗したこと〟〝できないこと〟ばかり気にして焦っていて…。しかし、〝できないこと〟の裏には〝できていること〟がある。視点を変えれば、マイナスな事象もポジティブに転換できることを学びました」

 早速〝聞く営業スタイル〟を実践したところ、飛躍的に営業成績がアップし、営業成績MVPを獲得して社内で表彰されるまでに。さらに社内最年少で営業マネージャーへと昇りつめ、仕事にやりがいを見出していた矢先、思わぬ事態が訪れる。転職から3年が経ったころ、社運をかけたビッグプロジェクトのリーダーに任命されたのだ。

医療系メディアの企業に入社して2年後、その努力が実りついにMVPを獲得

 その重圧と激務から土谷さんはついにメンタルダウンし、休職を余儀なくされる。休職期間に再度自己分析をした彼女は、自身の理想に近づこうとするあまり、頑張りすぎていたことに気づく。〝みんなの期待に応える肝っ玉母ちゃん〟になろうとしすぎて、心と体が悲鳴を上げたのだ。そこで目標を軌道修正し、〝心身ともに健康で、人生を楽しめている肝っ玉母ちゃん〟になると決意を新たに。転職をし、営業職から大手IT会社の営業企画職へキャリアチェンジをする。

 「これまで営業職として、物理的に〝人から話を聞くこと〟〝話すこと〟などに費やす時間が長く、自分もその面でしか自分の強みを捉えていませんでした。しかし、企画職ではじっくり考える時間が増え、〝思考を整理し、解決のためのアイデアを生み出す作業〟が自分にとって苦ではなく、むしろ楽しいし、得意なんだと気づいたんです。

 また、営業時代の外回りでは、人とのコミュニケーションに加え、特に暑さや寒さなど外の刺激を受けることで、毎日倒れそうなほどに消耗していました。でも、転職後は快適な社内で黙々と考える時間が増え、同じ労働時間でも疲労感がまったく違うというのも新しい発見でした」

 労務管理が徹底されている上場企業に転職したことで、労働時間が短縮され、自由に使える時間と体力が増えた土谷さんは副業を始めることに。奨学金を完済するためには、空いた時間を趣味などに費やすより、お金につながる可能性がある副業を選ぶのが最適としたからだ。加えて「自分の裁量で何かをやってみたい」という思いが芽生えたのも理由だったとか。

 「前職のベンチャー企業では裁量権が大きく、スピーディに仕事を進められましたが、大手企業では大人数でプロジェクトを進めるため、スピード感が遅く物足りなさを感じることもあって。自分は前者のほうが楽しいなと感じていたんです」

 土谷さんは副業として、自身の節約術をテーマにしたブログの運営をスタート。最初は趣味の延長だったが、続けるうちに「更新を楽しみにしている」という読者の声が届くように。自分の何気ない考えを書くことで共感が生まれ、だれかとつながることができる。その経験を通じて、「ありのままの自分も肯定される」という喜びを感じたという。

 「働き方を自分で決められるのも大きな魅力でした。会社員は定時・定休日・働く場所・服装など、あらゆることが決められていて、時に窮屈さを感じる瞬間も。でも、副業ではすべて自分次第。昼に起きてパジャマのまま作業してもいいし、一晩中作業に没頭してもいいし、やりたくない日は休んでもいい。その自由が、何よりも心地よく感じられたんです。

 さらに、ブログを通じて紹介した商品やサービスが売れ、報酬が得られるという驚きもありました。日々の節約を楽しんでいるだけなのに、それをちょっとシェアしているだけなのに、誰かに感謝され、収益まで得られるなんて!と。〝仕事=大変なこと〟〝給料=我慢やストレスの対価〟のようなイメージが少なからずあったので、なおさらだったのかもしれません」

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